ユーラシア大陸を自転車で横断しながら世界中の子どもを一本の糸でつないでいた十年前の今日、僕たちはインドのवाराणसी (ヴァーラーナシー)に居た。ヒンドゥー教徒にとっての聖地としても知られるこの場所は、聖なる大河ガンジス川が全ての包み込むかのように流れている。当時インドの街を表す言葉として「カオス(混沌)」という言葉以上に適当な言葉は見つからなかった。道には人、動物、車、バイク、リキシャ(自転車タクシー)などが隙間なくうごめき、クラクションの音が鳴り止むことはない。
足元に目をやるとカラフルなプラスティックや腐食したゴミ、動物の糞が散乱し、その中で平気に昼寝をする(もしかしたら死んでいたのかもしれない)人々。そんな風景に負けないくらい力強い目を持ち、自分の売り物を宣伝する物売りたち、カラフルな伝統衣装を身にまとう女性たち。熱気立ち登る街に漂うのは強烈な糞尿の臭いとそれを打ち消す香ばしいスパイスの香り、そして甘いチャイの匂いだ。ヴァーラーナシーにいるときほど、生きることと死ぬことを考え続けた期間はない。日本をはじめ先進国にいる時には、「死」は決して身近にあるものではない。しかしここでは、「死」が日常生活に溶け込んでいるのだ。
お祭りと見間違うほどに陽気な音楽と派手な装飾に包まれた一行は街を行脚し、ガンジス川のガートと言われる河岸へと向かう。そこにあるのは屋外の一大火葬場だ。24時間休むことなく河岸ではせっせと死体が火葬され、灰はガンジス川に流されていく。十分な薪を買えない家族の遺体は完全に灰になることなく形をとどめたまま川の流れに飲み込まれていく。高々と上がる火の周りで人々は祈り故人を思う一方、子どもたちは川で遊んでは濡れた服をその火で乾かしている。自分の中で生と死の境界線が曖昧になり、自分は今生きているのか、死んでいるのか混乱する。ようやく眠りに落ちたと思えば、一泊100円のホテルの真横の高圧線から火花がほとばしり、凄まじい爆発音とともに安眠はガンジス川の濃霧の先へ消え去る。眠れぬままホテルの屋上へあがると、目の前を静かに流れるガンジス川とその河岸で夜明けを待つ人々の姿が蜃気楼のように揺れ動く。
暫くすると朝靄の向こうから太陽のシルエットが浮かび上がり、あたり一面がオレンジ色に染まる。その瞬間、自分の周りから全ての音が消え失せ目から涙がこぼれ落ちた。インドでの経験は今でも色褪せることなく、そこで出会った人々とも不思議なご縁が今なお続いている。
加藤 功甫
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