イスラエル人としてCoCのパレスチナスタディツアーに対して想うこと  シュベ・ギラド

イスラエル人のギラドさんから、このプロジェクトに対してメッセージを受け取りました。ギラドさんの家族は今も、イスラエルのKibbutz Nir Amという、ガザ地区の隣町に住んでいます。

この活動報告のために彼が送ってくれた写真は、Kibbutz Nir Amで撮影したものです。

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以下がギラドさんからのメッセージです。

「平和は常に実現可能であるとともに、必要なものだ」

イスラエルとパレスチナで過去75年間続いてきた紛争は、多くの人々の生活を破壊しただけでなく、健全な社会が形成されるための社会基盤をも侵食してきた。しかし今こそ、信頼を回復し、古傷や対立を捨て、平和という共通の目的のために兄弟として団結するときが来たと感じている。

だから僕は、このプロジェクトが非常に重要だと考えている。偏りのない視点から、現場の現実を世界(今回の場合は日本と日本人)に伝え、武器が封印された未来を想像することができるから。

さらには15歳の貴子ちゃんが、誰かを助けたいと思い、さらには実際にそれに向けて行動を起こすことは、彼女の世界観を広げるだけでなく、彼女が日本に帰ってきてから出会うすべての子どもたちの世界観も広げることになるから。

また、貴子ちゃんが現地に行き、パレスチナ人とイスラエル人の暮らしぶり、考え方、食文化を理解すれば、多民族で文化的に豊かな地域の全体像が見えてくるはずなんだ。

イスラエルとパレスチナでは長い間、「紛争相手が望まないなら和平はありえない」と言われてきた。でも、それは紛争を行き詰まらせるだけだ。私自身、イスラエルに生まれ、幼少期をイスラエルで過ごしていた時、第二次インティファーダ(※1987年12月から1993年までの2回目の対イスラエル抗議運動)が激化し、あちこちでテロが起こった。バスや電車に乗るのが怖くて、父の手を固く握りしめていたことを今でもはっきり覚えている

僕は「貴い平和を’収穫する’には、まず’理解の種’を蒔かなければならない」と考える。

子どもたちや若い世代がその種であり、未来であり、パレスチナ人とイスラエル人を結びつける架け橋の基礎となる人々だ。この架け橋は、遂には痛みを置き去りにし、幸せと共に手を取り合って発展する未来をもたらすと信じている。

これは、僕もあなた(パレスチナ人)と同じ人間であり、あなたと同じように感じ、あなたと同じように苦しんでいる、というビジョンから生まれている。

僕は、両国の未来を考えるとき、いつも弟のシャハールのことを考える。彼は、平和なイスラエル−パレスチナを実現する世代の一人であり、真の平和を享受する最初の世代でもあるのだ。

シュベ・ギラド

イスラエルで生まれ、8歳までイスラエルで過ごす。紛争も一因し、その後スペインへ移住。16歳の時に日本が好きになる。好きなことは水泳やバスケットボールなどのスポーツやハイキング。そして何より友人や家族と過ごすこと。心が広く、前向きな人間で、人を助けることが大好きな27歳。

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