CoCのメルマガで、毎月連載中のコラム『妄想旅行記』。CoCメンバーが代わる代わる「今、旅行に行くなら…」をテーマに自由に妄想して書いています。Vol.18にあたる今回、メンバーのさわでぃが超大作を執筆したため特別にブログにて掲載します!!普段メルマガでしか読めないコラム、ぜひお楽しみください!
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茶色い岩肌が果てしなく続く険しい山岳地帯。遠くに望む標高6,000m以上に達する白い万年雪に覆われた山々の頂は、黄金色の午後の太陽の光に照らされて青い空に輝いている。植物の気配が感じられない殺伐としたこの渓谷には肌を刺すような凍てついた風が容赦なく吹き荒れている。この土地は一年のうち3分の2ほどは冬であり、一年中吹き荒れる強風のせいでろくに作物も育たない。間も無く訪れる夏を拒むかのように、谷を吹き抜ける風は普段より一層冷たい。
そんな無慈悲で厳しくも雄大な山々の合間を十数頭のヤクを引き連れたクルグス人のキャラバン隊と僕はゆっくりと歩をすすめていく。氷河を水源とする激流によって深く抉られた峡谷に、ヤクのベルの音が響いては風の中に消えていく。ごつごつとした谷の急傾斜に張り付くように、道とも呼び難い荒れた小道がどこまでも続く。標高は4,000mを越えており、とにかく息が上がる。足を滑らせたら、谷底を流れる灰色の濁流の中に真っ逆さまである。疲れていても気は抜けない。
ヤクの歩みは極めて遅いものの、険しい山道を重い荷物を背負って移動することに彼ら以上に長けた動物はいない。可哀想なほど巨大な荷物を背負わされても文句一つ言わずにゆっくりと淡々と歩みを進める姿には敬意すら覚える。あまりにも息が切れて苦しそうな僕の姿を見たクルグス人の青年が、ヤクの背に乗るように勧めてきたが、ただでさえ重たい荷物を背負ったヤクに申し訳ないような気がしたので断った。それにどうしても自分の足で歩きたいという思いもあった。
自転車旅が大好きだった学生時代、大学を卒業してすぐに自転車でユーラシア大陸を横断することを心に決めた僕は父にそれを伝えた。すると反対されるどころか「自転車は簡単で誰でも出来るから、お前は歩いていけ。」と言われたことをよく覚えている。父にはどこからが冗談なのかよく分からいところがあったが、少しばかりクレイジーな人であったことは否めない。半分は本気で言っていたに違いない。そのときは一年という限られた時間しかなかったため、歩くなんてことは考えにも及ばず、予定通りに自転車で旅に出て、その後無事に大陸横断を果たした。
それから7年後、父は癌で他界した。若い頃は厳冬期の岩壁のクライミングへの挑戦に腕を鳴らし、70歳を過ぎても自作のログハウスで斧一本で薪割りをするほどタフな父であったが、癌には勝てなかった。そしてそこからさらに十数年の月日経った今、父がかつて言った「歩いていけ。」という言葉がなぜかずっと心に残っていた僕は、ユーラシア大陸を歩いて旅している。
上海を西に向かって出発し、西安、敦煌、そして中国で最も西に位置する都市カシュガルに至るまで一年。カシュガルから国境を越えキルギスへ、そこから国境を越えタジク語で「世界の屋根」を意味する平均標高3,000〜4,000mのタジキスタンのパミール高原に至るまでさらに三ヶ月。広大な平原に点在する氷河から解け出した水で作られた紺碧の湖とそれを挟んで遠くに見える雪に覆われた真っ白な山脈。とてもこの世のものとは思えないような幻想的な光景が広がるパミール高原。そして、そこを貫くパミール・ハイウェイ。ハイウェイとは名前ばかりの粗雑なアスファルトがぶっきらぼうに敷かれただけの荒野の道をひたすら歩き、アフガニスタンと国境を接する東西に細長い渓谷地帯である大秘境ワハーン回廊を目指す。
そんなパミール・ハイウェイの道中でのことであった。道もないような荒野の地平線の彼方に、黒い複数の点のようなものが動いているのが見えた。蠢く点々がだんだんとこちらに近づいてきて、どうやらそれらが動物達を引き連れた人々の集団であることがわかった。間もなく、ハイウェイを横切る彼らとちょうど鉢合わせた。
彼らは十数人ほどのクルグス人のキャラバン隊で、年齢層は幅広く女性や子どももおり、おそらくいくつかの家族、あるいは親戚のような集まりであると思われた。男性はボロボロのジーンズのような丈夫なズボンに厚手のジャケットを、女性は真紅の布に白や金の刺繍を施した民族衣装のスカートを身に纏っていた。顔は日本人とほとんど区別がつかない。人間と同じぐらいだけの数のヤクを引き連れ、その背には彼らが生活するために必要な物資が全て積まれているようであった。彼らは、荒野に続く一本道を1人で歩いていた僕にとても興味を示し、どこから歩いてきたのか、これからどこへ行くのかなどいろいろと質問攻めしてきた。カシュガルで手に入れた観光用のタジク語辞典を片手に、なんとか身振り手振りで会話した。話しているうちに彼らとすっかり打ち解けた僕は、これからあなたたちはどこへ向かうのかと逆に聞いてみた。すると、彼らが歩いてきた方向とは逆の、平原の向こうの遠く険しい山脈の峰々を指差した。その方向に道らしい道はない。彼らが指差す先にどうやら目的地があるらしく、そこまではここから少なくとも歩いて5日はかかるとのこと。彼らはユルタと呼ばれるモンゴルの移動式住居とよく似た家に普段暮らしているらしいのだが、今はそれらを全て解体してヤクの背に載せ、冬の居住地から夏の居住地まで移動中なのだという。
それを聞いた僕はふと思った。彼らと一緒に行きたい。
早速、長老と思われる立派な黒ヒゲを蓄えた年配の男性に頼んでみたところ、意外にもあっさり願いを聞き入れてもらえた。さらに、夏の居住地までたどり着いた後、キャラバン隊の若者達が、そこから歩いて3日の一番近くの村まで僕を送り届けてくれるという。こんな見ず知らずの僕の図々しい願いを何の迷いもなく聞き入れてくれて、さらに帰り道のサポートまでしてくれるなんて、信じられないほど寛大な心を持った人たちである。
かくして僕はキャラバン隊の一員となり、今、こうして冷たい風の吹きつける険しい荒涼としたタジキスタンの山々の合間をぬって歩いているわけである。
彼らに同行し、パミール・ハイウェイから外れて山中を歩き続けて今日で3日目。前日と同様に一日中険しい山道を黙々と歩き続けた。やがて陽が傾き、あっという間に空と山肌が赤く染まった。今日の野営地は山の斜面にできたちょっとした穴倉のような窪地に決まった。寝る時はなるべく平らな岩の上でヤクの毛皮にくるまって寝るのだ。食べるものは乾燥して硬くなったパン、羊あるいはヤクの干し肉、ビー玉のような形の酸っぱくて硬い山羊のチーズ、後はその辺で捕まえてきたイタチのような動物の丸焼きである。すでに手持ちの食料を切らしてしまった僕は彼らの貴重な食料を分けてもらう他ない。彼らは自分たちの食料を分け与えることになんの抵抗もなく嫌な顔一つしない。むしろ「もっと食べるか」としきりにすすめてくる。長老の次に年配だと思われる背の低い無精髭の陽気なおじさんは「夏の居住地に着いたらお前に羊肉のラグマン(うどんみたいなもの)を食わせてやる」と、食べさせることが楽しみでしょうがないといった様子である。彼らの見返りを求めない優しさに胸が温かくなる。
あたりがすっかり暗くなると、中央アジアでよく見かけるドゥタールによく似た2本弦の弦楽器と、アラブ地域でよく見かける大きなタンバリンのような形をした低い音が良く響く平たい太鼓を伴奏に、みんなで火を囲って歌を歌った。ペルシャ文化の影響を強く受けている近隣のウズベクと同様に、中東のエキゾチックで力強い音楽の雰囲気を纏っている。そこに彼ら遊牧民の持つ素朴で飾り気のない民族性が混ざり合った独特な歌がなんとも味わい深い。一番の歌い手であるという長老の奥さんがハリのある透き通った声で見事な旋律を高らかに歌い上げた。彼らは部族毎に独自に受け継がれてきた歌を沢山持っており、その内容は生活の様子や、かつての遊牧民の王達の活躍を歌ったものだと言う。天空に近いこの場所では、夜空に散りばめられた星々に手が届きそうなほどであり、まるで宇宙の中に浮かぶ岩の上に自分が佇んでいるかのように錯覚する。古代ギリシャや中世ヨーロッパの学者たちは音楽は宇宙の法則を表したものであり、音楽を知ることと宇宙を知ることは同義であると考えていた。宇宙を感じるこの場所で彼らの自然体で純粋な音楽を聴いていると、古い学者たちが本気で考えた宇宙が奏でる「天球の音楽」というものを信じてみたい気持ちになる。クルグスの人々の歌声は闇に包まれた山々を越えて遠く宇宙の彼方まで響き渡った。
この日の夜は長老からいろいろな話を聞いた。氷河の水が急激に解けてなくなったことにより、いくつもの湖が消失し家畜の餌となる牧草の多くが育たなくなってしまっこと。厳しい大自然での過酷な生活が苦しくなり、町に下りて生活する部族の若者が増えて来たこと。パミール高原に暮らすクルグスの遊牧民は、太古から受け継がれてきたこの生活様式をいつまで維持できるのか分からない不安と共に生きているのだということ。
そうしているうちに夜も更け、僕は寒さに耐えられずに彼らから借りたヤクの毛皮にくるまった。これが抜群に温かい。昔ネパールで手に入れたヤクの毛布よりも10倍は温かい。
2日後には彼らの夏の居住地に到着する。一体そこはどんな場所で、どんな暮らしをしているのか。そしてこれから先、どんな光景が広がっていて、どんな出会いが待っているのか。そんなことを考えながら、温かなヤクの毛皮にくるまり、無数の星々に囲まれて宇宙空間を漂っているような気分で深い眠りに落ちていった。
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いかがだったでしょうか?次回コラムもお楽しみに!
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